日常と非日常の間で

人事異動で、職場の机の席替えがあり、一つ隣の席に移った。担当業務もちょっとだけ変わったのだけれども、目下のところそれどころじゃない状況なので、私自身の日常としては、逆にあまり変化の無いひと月を過ごしている、いや、過ごせている、あるいは、過ごすようにしている。


4月になって、もはや外出許可証の意味を持っているマスクをつけるようになったけれど、マスクの前にまず社会的距離だと思っていて、どちらかと言うと他人と2mの距離をどうやったら取れるかについて考えていた*1。そういう意識もあって、平日はおおよそ毎日、地下鉄区間を徒歩で帰ることにした。地下鉄区間といってもせいぜい5kmなので、1時間程度ののんびりしたものだけれど、人がどれぐらい減ったかとか、商店がどれくらい閉まっているかなんかを遠目に見つつ、夜の散歩を続けた。都内は歩道も広い道が多く、基本的には夜の人手の中では、駅周辺の一部や大規模スーパーマーケットの横などを除けば、対人距離を取りやすい。運動量確保やストレス対策という意味もあって、逆に土日は家から一歩も出ないようにしたけれど、なんとかストレスと付き合えたような気がする。職場全体の体制変更もあり、月末からはテレワーク的なものも試行中で、5月からは在宅勤務も増えるのかなという感じで、運動量確保やストレス対策は別にしていかないといけないなと思うところ。ある意味で、「相変わらず」をいかなる形で保持していくかを考えている。


何かと「戦争」に例えられる昨今だけれど、スターウォーズのエピソード1で、ヨーダジェダイのパダワンの試験を受けるアナキンに話した言葉を心に留めるようにしている。

Yoda: Mmm. Afraid to lose her, I think, mmm?
Anakin: What has that got to do with anything?
Yoda: Everything. Fear is the path to the dark side. Fear leads to anger. Anger leads to hate. Hate leads to suffering. I sense much fear in you.

スター・ウォーズの鉄人!/スクリプト

ただし、個人的な解釈としては、この時点でのヨーダのフォースに対する考え方は、背景にジェダイ教団内での路線対立なんかもあり、最終的には変化していくところがあるので、注意が必要ではあるが*2、ひとまず、自分の中のダークサイドとどのように付き合うかが大事かなと思うところである。なかなかリアルタイムに自覚できないこともあるのだけれど、自分が何を恐れていて、あるいは何に怒りを感じているのかを反省的に自覚することは大事だろう*3


国民生活基礎調査が中止になったり、秋の国勢調査もこの分だとどうなるんだろうかというところで、いろんな官庁統計が見えにくくなっていく様は、我々の目がだんだん見えなくなっていくようでもある。医療・福祉関係の従事者が感染リスクに向き合っているのはぎりぎり見えているけれど(十分に見えているとは言い難いが)、報道関係者が感染リスクに向き合いつつどうやって取材活動を続けていけるのかも、直下の状況への対応だけでなく、中長期的な課題になっているんだろう。マクロにもミクロにも、「見えないこと」に対する恐れがあるのだけれど、一方で「見える化できない理由」もいろいろあるらしく、そしてその「理由」すらよく見えなくて、そこには非常時であるところの「戦争」っぽいものを感じる。一方で、日々新たに出てくる様々な「データ」にも振り回される。官庁統計や社会調査データは元々多かれ少なかれそうなのだけれど、それぞれに癖のあるものが多く、そのくせ、数字が独り歩きし、限定された状況報告がすぐに一般化され、時に信仰対象となっていたりもしている。個々の事象だけ取り出せば、「いつもの光景」のようにも見えるのだけれど、社会にストレスが溜まっている状況で、時に(自分の認識も含めて)極端に振れやすいところでもあり、短期的には正反対なデータが飛び交う中でどうバランスを取るかに悩んではいる。必要なバランスは、今あるデータの間にもあるし、出てくるデータと出てこないデータの間にもあるのだろう。量的なデータについて言えば、不完全なデータから試行錯誤しながら、現状を把握するというのは、少なくとも社会科学界隈の(おそらく自然科学も含め)平時からの問題でもある。本当に今までは「見えていたのか」というところまで言い出すと、また別の問題になるかな。


ここ数年は気を付けて過ごしているので元気だけれど、5月の連休は割と体調を崩すこともあって、家にこもっているような日々は、そこまで非日常でもない。とはいえ、身近なところにも閉店のお知らせを散見するようになってきて、いよいよ来るなと思うところもある。連休明けから、いよいよ本当の非日常、あるいは新しい日常(「新しい生活様式」?)を、本格的に感じることになるのだろうか、などと思っている。

*1:そういえば、Social Distancing (Physical distancing) と Social Distance は別文脈の言葉で(感染症対策の場合、前者が本来は適切)、イミダスでは「社会的隔離」と訳していたらしい(ソーシャルディスタンシング(社会的隔離) | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス

*2:この時点でのヨーダは瞑想による未来視に重きを置きすぎていて、後の「失敗」に繋がり、その後、ヨーダがダゴバで自身の「失敗」と向き合った日々が、エピソード5での若いルークへの言葉や、エピソード8での老ルークへの言葉に繋がるところだと理解・解釈しているのだけれど、この辺りはアニメシリーズも含めて現在進行形でいろんな設定ができたりしており、現在どういう解釈が一般的なのかとかは不勉強でよく知らない。ひとまずエピソード1の時点でのヨーダの言葉は、その時代性を含めて、ある程度注意して読まなければならないだろう。

*3:念のため付言すれば、「恐れ」や「怒り」を感じてはならないということが言いたいのではなく、冷静に「恐れ」や「怒り」と向き合うことが必要なんじゃないかな。