ハロルドを探して:「75年不毛説」の祖を追う

「75年は草木も生えぬ」

1945年8月6日、広島は一発の原子爆弾により破壊し尽くされ、「75年間は草木も生えぬ」と言われました。

平和宣言【令和2年(2020年)】 - 広島市公式ホームページ

たまたま在宅だったのもあって、今年は広島・長崎の両方の慰霊式典を(全部ではないが)流し見て、戦後75年、五輪の陰に隠れなくて良かったのかもしれないなと思っていた。広島の式典で、広島市長は「75年間は草木も生えぬ」という言葉に触れたが、今年の原爆報道は、この「75年は草木も生えぬ」(「75年不毛説」とも言われる)を取り上げた記事が目についた。これは、メディアの中の人にとってもそうだったようだ。

 F この夏は、「75年は草木も生えぬ」の一節に引っかけた言説が目に付いた。
 A 原爆投下の直後、米国の科学者がそんな発言をしたのは確かだけど、翌年にもう生えていたんだから。意味ありげに使うのはいかがなものかと、内心いまいましかった。
 F ジェイコブソンという原爆開発に関わった学者のことだね。1945年8月8日のワシントン・ポスト紙に「70年」と数字を持ち出し、「殺人性の放射能が残る」と談話を出したんだ。あまりの反響に、原爆開発の最高権威だったオッペンハイマーが「根拠なし」と全面否定した。翌9月に来日した調査団も放射線被害を重ねて否定したから、原爆の影響のうち放射線被害を過小評価する流れができてしまった。ヒロシマ史家の宇吹暁さんが米国側資料などで突き止め、「広島県史」にも詳しく書いている。
 G 「70年」説も確かに聞いたことがある。
 F 占領下の日本では、原爆自体を告発できなかった。ご存じの通り、プレスコードでね。70年にせよ75年にせよ、曖昧なまま独り歩きしたんだろう。

被爆75年のヒロシマ 紙上座談会 | ヒロシマ平和メディアセンター

さて、この「75年(70年)は草木も生えぬ」という言説の発端となったジェイコブソンという人はどういう人で、初出の発言は70年だったのか75年だったのか、というのが気になって、インターネットを叩いてみたのだが、あまり大した情報が出てこない。
私の環境下で、「75年は草木も生えぬ」で調べると最もトップに表示された紀要論文*1や、広島平和メディアセンターの記事によると、どうやら「ハロルド・ジェイコブソン(Dr. Harold Jacobson)」という人らしい。

所謂「マンハッタン計画」(Manhattan Project) に関わったハロルド・ジェイコブソン (H.Jacobson) 博士の談話として 1945 年 8 月 8 日付けの < ワシントンポスト (The washinton post)> 紙上に掲載されたものである。

「75 年は草木も生えぬ」という言説から : 原子力破局の時代における教育学の課題-広島文化学園大学 機関リポジトリ

県政記者団が尋ねた「七十五年」というのは、原爆開発計画に当たったハロルド・ジェイコブソン博士が、広島への原爆投下直後に述べた見解に始まる。
「実験からは原爆を浴びた地域の放射能は約70年は消えない。広島は75年近く荒廃の地となるだろう」(アトランタ・コンスティテューション8月8日付)。米通信社が配信した。

1945 原爆と中国新聞 <6> 報道と再びの災禍 | ヒロシマ平和メディアセンター

しかし、海外メディアの記事等では、"Dr. Harold Jacobsen" と、ジェイコブン(あるいはヤコブセン?)との表記が多く見つかる。

Hiroshima was a charred wasteland, and people widely believed, based on the words of Dr Harold Jacobsen, a scientist from the Manhattan Project, that nothing would grow, or live, in the city for 70 years.

BBC - Travel - How Hiroshima rose from the ashes

Manhattan Project scientist Dr. Harold Jacobsen predicted Hiroshima's devastated centre would remain dead, "not unlike our conception of the moon", for 70 years.

Atomic Bombing of Hiroshima and Nagasaki | World War II Database


表記もあいまいなこの人物、英語版も含めたWikipediaには特段の記載はないようだ。しかし、彼のものとされる「75年不毛説」は当時の人の心に残り、現在まで伝わる象徴的な言説になっている。被爆から75年経っても残る言説の祖とされる「ハロルド・ジェイコブソン博士」は、実際にはどのような人だったのだろうか。

"Jacobson" か "Jacobsen" か

ひとまずは、初出の記事での表記を探すのが早かろうと思うが、時代が時代なだけに、初出の記事を探すのは、インターネット上の資源だけでは難しい。ワシントン・ポスト(The Washington Post)のウェブサイトでは2005年以降の記事が検索できるが、さすがに1945年の記事は検索できない。なお、アメリカ議会図書館(Library of Congress)の提供するChronicling America*2というサイトでは、一定の歴史的紙面が検索できるが*3ワシントン・ポストは含まれていない。また、先に上げた広島平和メディアセンターの記事によれば、アトランタ・コンスティテューション(Atlanta Constitution)の記事が挙げられているが、こちらもインターネットでの検索は難しそうだ。


そこで、ワシントン・ポストの古い記事が検索できる ProQuest Central を叩いてみたのだが、探し方が悪いのか、ワシントン・ポスト8月8日付の当該記事と思わしきものは見当たらない。先の記事では「米通信社が配信した」とあるので*4著作権等の関係でデータベースに収録されていない可能性もある。また、アトランタ・コンスティテューションについても調べてみたが、当該時期の記事は ProQuest Central には収録されていないようだ。データベースでヒットしないとなると、原紙かマイクロフィルムを確認しないと難しそうで、今回はこれ以上の調査は断念した。


ただし、翌9日に「原爆開発の最高権威だったオッペンハイマーが「根拠なし」と全面否定した」、ニューヨーク・タイムズNew York Times)の記事はインターネットでも確認できる*5。残念ながらインターネット版ではログインしなければ見れないが、同様に ProQuest Central を叩くとこちらはヒットする。同記事内には "Dr. Harold Jacobson" との記載があり、どうやら少なくともこの段階では、"Jacobson" の表記が正しそうだ。

彼は何者なのか

ハロルド・ジェイコブソン博士の肩書きは、このニューヨーク・タイムズの記事では、以下のような記載となっている。

Dr. Jacobson, a technician on the staff of Philip E. Wilcox, Inc., of 39 Park Avenue, which prepared technical manuals for the Navy, (後略)

一方で、同日のワシントン・ポストの記事*6では、

Dr. Harold Jacobson of Columbia University, one of those who participated in the atomic research work, (後略)

とあり、所属の記載は一致しない。この報道時におけるニューヨーク・タイムズが、放射線の影響を否定する立場に立つのだとすれば、「一介の一技師の発言」として発言を矮小化するような向きもあるのかもしれないが、細かい時代状況についてはここでは判断できるほどの知見を持っていないので、直ちに何かが言えるわけではない。
ネットの海を散策すると、Sean Malloyという歴史学者の論文*7に、次のような記述があるのも確認できた。

On August 8, a sensational article in the Hearst press by Harold Jacobson, a scientist who had briefly worked on the bomb project at Oak Ridge and Columbia University, asserted that the residual radiation in Hiroshima “will not be dissipated for approximately seventy years."

(PDF) “A Very Pleasant Way to Die”: Radiation Effects and the Decision to Use the Atomic Bomb against Japan*

ここでオークリッジ(Oak Ridge)という地名が出るが、これはマンハッタン計画で設置され、現在オークリッジ国立研究所となっている施設(テネシー州)を指すものとみられる。"briefly" とあるから、所属機関は短かったのかもしれない。なお、記事からの引用部分は "San Francisco Examiner"(サンフランシスコ・エグザミナー)という新聞(8月8日付)とあり、先の2紙とは異なる。

それっぽそうで違いそうな "Harold G. Jacobson" 氏

今度は、試しにWorldCat Identitiesで検索してみると、"Jacobson, Harold Gordon" という1912年生まれの放射線医学の研究者*8がヒットする。これが探しているハロルド・ジェイコブソン博士なのかはわからないが、放射線医学の研究者であれば、放射線の影響について言及しても、あまり違和感はない。
そこで「Harold G. Jacobson」でもう一度Googleに聞いてみると、北米放射線医学会(The Radiological Society of North America: RSNA)に1919年生まれの人物(同学会会長?)が紹介されている記事*9が確認できる。同記事には 、以下のように書かれている。

When an opportunity was available to return eastward, Dr. Jacobson joined the faculty of the Yale University School of Medicine as an Instructor in 1942, only to depart after several months for four years of Army service (1942–1946). Entering as a First Lieutenant, he received his discharge with the rank of Major. During this period he was Associate Radiologist at the Fort Benning, Georgia, Hospital and Chief of Radiology at the Welch Convalescent Hospital in Daytona Beach, Fla., and at the Army Service Forces Training Center at Camp Gordon Johnson, Fla.

Harold G. Jacobson, M.D. | Radiology

ここから、1942年から1946年まで陸軍に所属していたことがわかる。これは時期だけを見れば、これはマンハッタン計画(1942~)の期間と重なるようにも見えるが、記載されている経歴(勤務先)は先の新聞記事とはかなり異なる。"Philip E. Wilcox, Inc.," や "Oak Ridge" 、 "University of Columbia" といった名前は出てこず、別人の可能性も高そうだ。また、WorldCat IdentitiesとRSNAの記事で生年が異なるのも気になる*10


なお、この他に似たような名前の人物としては、政治学者の Harold Karan Jacobson*11、人口学者?の Paul Harold Jacobson *12がいることがわかったが、この両名についてはさすがに専門性が違うため、別人だろうと考えられる。

急浮上する "Dr. Harold F. Jacobson" 説

そこで、虚心坦懐にもう一度 "Harold Jacobson" で検索を繰り返すことにしてみる。今度はワシントン・ポスト(及び日本語資料)に記載のある "Columbia University" を組み合わせて調べてみると、Erik Lundという研究者のブログ記事が見つかった。このブログ記事には "Dr. Harold F. Jacobson" という記載があり、出典とみられる図書へのリンク*13があるが、内容は確認できなかった。

Philip E. Wilcox, of the War Manpower Commission writes to scold the paper for claiming that Dr. Harold F. Jacobson was not suspended, nor asked to resign, from the Manhattan District on 20 August 1945. It is just a coincidence that he found new, important work with the WMC after claiming that “secondary radiation” would persist at the Nagasaki and Hiroshima bomb sites for generations to come.

Bench Grass: Postblogging Technology, October 1945, II:

また、同じブログのコメント欄では、Newsweek, 1945年8月20日号とされる文書の転記*14があり、この記載によれば、ハロルド・ジェイコブソン博士は、当時33歳のシカゴ大学で博士号を取った人物であることがわかる。

Seven months ago, Dr. Harold Jacobson, 33-year-old physicist (Ph.D. University of Chicago), employed by the government on top-secrt experiments to split the atom, wrote a play. (略) Last week, one day after the historica atomic bombing of Hiroshima, ediots of the three major news serives in New York recievaed a phone call from Philip E. Wilcox, Inc, a contractor for Navy manuals on devices and weapons. In their ortanisation, said the spokesman, was a scientist who had worked for two yeasr on the Manhattan Project, --the atomic bomb—at Oak Ridge, Tenn. Plant and at the University of Columbia. His name was Dr. Jacobson, and he had a story to tell. . .

http://benchgrass.blogspot.com/2015/12/postblogging-technology-october-1945-ii.html?showComment=1478987012844#c8000900043902665205

同記事中にはジェイコブソン博士は "Philip E. Wilcox, Inc.," から連絡を取ってきた "Oak Ridge" "University of Columbia" での勤務経験がある人物であることが記載されている。また、同ブログで著者とコメントをやり取りしているカナダのコンコルディア大学(Concordia University)のDr. Peter C. van Wyck氏が記載するところでは、”he taught at Hofstra for a couple of years before his death in 64" とあり、ニューヨーク州のホフストラ大学での教鞭歴があるという。
今回の調査では、"Dr. Harold F. Jacobson" のリンク先の図書*15や、Newsweekの記事原文はチェックできなかったので*16、ブログ記事の裏付けは取れないが、博士の本名が "Dr. Harold F. Jacobson" なのだとすると、先の "Harold G. Jacobson" は、完全に別人なのかもしれない。

(補論)「70年」か「75年」か

ところで、先のニューヨーク・タイムズの見出しでは、"70-year effect" とあるように、問題となる期間は「70年」とある。実際には「草木も生えぬ」とされたのは、75年ではなく70年だったのではないか、という疑問もわく。先の広島平和メディアセンターの記事等を見る限りでは「70年説」と「75年説」の両方が流通していたようだが、今回は初出の記事まで至っていないので、最初の時点では何年だったのか、どの時点で両説が並立する状況になったのかといったことを知るのは難しそうだ。


ただ、日本での言説の受容という観点で言えば、実際にはラジオ等で二次的に拡散された情報が広がったことを考えると、「曖昧なまま独り歩きしたんだろう」というのが実態だろう*17。日本での初報とされるのは毎日新聞の記事で、データベース(毎索)では東京本社版しか調べられないが、「70年」との記載が確認できる。

これについては米國側においても「廣島、長崎は今後七十年間は草木は勿論一切の生物は棲息不可能である」と怖るべき事実を放送している*18

一方で朝日新聞の記事では、「75年」の記載をしている。

當時の米國放送は「廣島は七十五年間、人畜の生存を許さぬ土地となった、また被害調査のため學者派遣するがごとき行爲は自殺に等しい」と繰返し宣傳*19

ひとまず、日本での初報段階では既に「70年」と「75年」の両説が唱えられていたということが推察される。


なお、先のニューヨーク・タイムズ及びワシントン・ポストの8月9日付の記事では、ハロルド・ジェイコブソン博士自身が前日の自身の発言を事実上撤回する声明を出している。これについては、8日の自身の談話発表の後、FBIによる取り調べが行われたとされ、政府による圧力によって撤回を促されたとの見方がある。一方で、先の日本の新聞記事のように(少なくとも日本の降伏前/米国による調査前の段階では)日本向けには放射線被害の継続性を宣伝する動きもあったとも考えられる。なお、先のSean Malloyの論文には、ハロルド・ジェイコブソン博士が簡単に反論できる談話を発表したがために、残留放射線の問題のみに注目が集まることになり、爆発直後の放射線による長期の被害についての問題に対する注意を逸らすことに繋がったとの評価もあるようだ*20。こうした様々な背景や、実際には「草木も生えぬ」などということはなかったことを踏まえれば、当初の発言者の意図とは別に、関係者が政治的に利用した言説として、その利用のされ方に注目すべきものと思われる。

おわりに

戦後75年の夏休みの自由研究的に、謎のハロルド・ジェイコブソン博士の行方を追ってみた。一部の新聞データベースを使った以外は、インターネットに頼って、お気楽で行き当たりばったりに調査したので、かなり限界はあるものの、ハロルド・ジェイコブソン博士は、少なくとも「インターネットで簡単に検索して出てくるほどの有名人ではないらしい」ということがわかった。
調査した中で最も詳しい資料である、Erik Lund氏のブログ記事(コメント欄でのやり取りを含む)を信用するならば、ハロルド・ジェイコブソン博士(Dr. Harold F. Jacobson?)は、発言時点で33歳の物理学者で、オークリッジやコロンビア大学で働いた後、Philip E. Wilcox, Inc.,に職を得たらしく、後にはホフストラ大学で数年間教職に就き、64歳で亡くなった人であるらしい。とはいえ、こうした事実の裏付けを取るには、色々と紙資料を含めて調査してみる必要がありそうだ。
彼が談話前後にどのような人生を送っていたのかについての興味は尽きないが、今回はここまでの調査としたい。

*1:小笠原道雄「「75 年は草木も生えぬ」という言説から : 原子力破局の時代における教育学の課題」『子ども学論集』2015.3, pp.15-26.

*2:http://chroniclingamerica.loc.gov/newspapers/

*3:海外の新聞を調べるには | 調べ方案内 | 国立国会図書館

*4:井上泰浩『アメリカの原爆神話と情報操作』朝日新聞出版(朝日選書), 2018, p.47の記述によると、当該通信社は「通信社ハースト(The Hearst News Service)」だという。一方で、「米INS通信」とするサイト(伝えるヒロシマ 被爆70年 <19> 原爆報道 核時代 終える日まで | ヒロシマ平和メディアセンター)もある。なお、INS通信(International News Service: 国際通信社(現 United Press International: UPI通信))は、ウィリアム・ランドルフ・ハースト(William Randolph Hearst)が設立した通信社である。

*5:70-YEAR EFFECT OF BOMBS DENIED; Atomic Research Head Scouts Long Radioactivity--Expert Here Clarifies Statement Dr. Jacobson Tells Views ATOM HELD PEACE AGENT Scientist Links Discovery to Necessity for Averting War - The New York Times

*6:"Atom Bomb's Radioactivity Fades Rapidly" The Washington Post, 1945.8.9, p.1.

*7:Sean Malloy, "“A Very Pleasant Way to Die”: Radiation Effects and the Decision to Use the Atomic Bomb against Japan," Diplomatic History, 2012.6, pp.515-545.

*8:Jacobson, Harold G. 1912- (Harold Gordon) - WorldCat Identities

*9:Harold G. Jacobson, M.D. | Radiology

*10:1919年生まれだとすると18歳で大学卒業ということになりやや若すぎる気もする。ひとまず1912年説をひとまず採用するならば、1945年時点で30代前半(32-33歳)の研究者ということになり、当時オッペンハイマー(Oppenheimer, Julius Robert, 1904年生まれ)が当時41歳であることを踏まえると、若い研究者ということになるのかもしれない。

*11:Jacobson, Harold Karan - Social Networks and Archival Context

*12:"American Marriage and Divorce" という本を1959年に出版している

*13:John Chappell, "Before The Bomb: How America Approached the End of the Pacific War," University Press of Kentucky, 2014.

*14:コメント欄のやり取りから推測すると、OCR等で読み取った文章の転記の可能性があり、一部スペルミスとみられる部分があるが、以下ではブログ記載の文章のまま抜粋する

*15:国立国会図書館の所蔵を探すと、1997年版の同書(GB531-A122)の所蔵があるようだ。

*16:Newsweekの古い記事はデータベースでは追えなさそうなので、現物を探すしかなさそうである。

*17:この辺り、今回は参照していない宇吹暁氏の研究成果(『広島県史』等)を確認すると、もう少し詳しいことがわかるのかもしれない。

*18:「傷者も漸次悶死 今後七十年間は生物の棲息不能」『毎日新聞』(東京本社版)1945.8.23.

*19:廣島に取り憑いた”惡靈” 二週間後には死亡者倍增」『朝日新聞』(東京本社版)1945.8.25.

*20:Sean Malloy, 前掲注7, p.542.