最近聞いている音楽2020臥待月

動向

蜜(最近聞いている音楽 - Re:clam参照)の活動再開が嬉しい。
街中ではYOASOBIが流行ってるなぁと思ったけど、まだそこまで引っかかってこない。

邦楽

  • PEOPLE 1 - 常夜燈

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「常夜燈」というモチーフにいろんなものが重ねられそう。合唱曲のようなほっとする曲調なのだが、実際歌うとリズム取るのが難しそう。水乃るかさんという方の振り付けで踊る女の子が素敵。こういう曲調のバンドなのかと思って他の曲を聴いてみたら、そうでもなかった。

  • Reol - 第六感

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ボートレースCMソング。歌ってみた系のご出身の方らしい。打楽器系の音色がいろいろあって楽しい。

  • Vaundy - 不可幸力

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SpotifyのCM(Spotify Premium CM「Spotify Town」篇)ではサビの部分が取り出されてノリの良いいい感じの曲の印象を受けるけれど、フルで聞くとまた違った印象を受ける。PVはカラス。概要欄に「揺れ、靡く世界で意図せず彼らはそれを愛と呼ぶ」とあるところの「意図せず」が大事な曲なんだということだろうか。

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「不可幸力」を聞くと、そういう感じのアーティストなのかと思うのだが、この曲なんかはとてもさっぱりのんびりしている。下に挙げたアウスゲイルの曲ともども、この夏はこういう曲を一方で聞き、一方でポップなものを聞いたりした。

  • Lucky Kilimanjaro - エモめの夏

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今年はあんまり「エモく」はなかった夏なのだけれども、「寝息を聴く」だけの距離が怖い世界において、ちょっとだけそれが可能だった日々のことを思い出したりしていた。

  • 立花優 - Tomorrow

杉本竜一作詞作曲のNHK「生きもの地球紀行」エンディング曲シリーズの1曲。何故か杉本竜一リバイバルがやってきたので聴いていたけれど、この曲が一番好きかな。

浜口庫之助作詞・作曲、1971年の神戸国際ホールでのライブ版が「ナイトクラブの渚ゆう子」(1973)に収録されている。ライブなので歌う前の口上が記録されている(前曲の京都慕情の後にある)。

それではここで、あたくしの一番新しい歌を聞いていただきたいと思います。都会に3日間仕事をしまして、あとの3日間は、空気のいいところで、のんびり過ごしてみたいな、夢みたいな歌でございますけれども、歌だけでも、その、のんびりしたムードをお味わいいただきたいと思います

一部大企業を除き週休二日制など無かった時代に、本当に「夢みたいな歌」なのだけれども、リモートワークで田舎暮らし的な風潮のニュースを見るに、この歌の感じも違った風に感じられるようになるのだろうか、と思った。
しかし、渚ゆう子は京都シリーズの印象ばかりだったのだけれど、元々ハワイアン歌手だったのだな。

  • 降幡愛 - CITY

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80's懐古なシティーポップがブームだとはいえ、ここまで80's寄りに振って大丈夫なのだろうかと心配になるくらいの曲。でも80'sは好きなのでちょこちょこ聞き直してしまう。

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夏の明るい夕方には、スカのリズムが欲しくなるなと思ったりする。あるいはクーラーの利いた部屋で昼下がりに聞くのも良い。

「おげんさんと(ほぼ)いっしょ」で星野源松重豊が語っていた曲。後半のソウルな展開がぐいんぐいんくる。

  • 門脇更紗 - 夢は終わらない

立志舎CMソング「夢は終わらない」フルバージョン(門脇更紗さん)
おなじみの曲がリニューアル。ちょっとさらっとしすぎのような気もするのだけれど、それが今風なんだろうかね。あと、当たり前なのだけれど、このCMの流れていない地域では、この曲知らなかったりするんだなと(話したときに通じなかった)。

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帰ってきたヨッパライ的な早回し風サウンド。ほっとする。あらゐけいいちの作品はみんなにやさしい。

  • 有近真澄 - KISS, KISS, KISS

昔々すり減るほど見たビデオの録画に入っていたCM「ファニィ」のCMソング(1992年)。不意に思い出して、あの曲の曲名何だっけと思って調べた。

洋楽

  • Ásgeir(アウスゲイル) - Summer Guest

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アイスランド出身のシンガーソングライターなのだそう。ギターの波と歌声が心地よい。

  • Don Moen - Give Thanks

散々再放送された「駅ピアノ」シリーズ、実態としては作業用BGMになっていたのだけれども、この曲をロンドンのお爺さんが弾いていたのが印象的だった。

www.youtube.com
いよいよ季候が秋っぽくなると、こういうのいいよね。

その他

伊藤沙莉がよるドラ枠でヒロインやるようになったんだなという点に嬉しくなるところ。サウンドトラックを聴いてみたけれど、和な遊びがあって楽しい。

ハロルドを探して:「75年不毛説」の祖を追う

「75年は草木も生えぬ」

1945年8月6日、広島は一発の原子爆弾により破壊し尽くされ、「75年間は草木も生えぬ」と言われました。

平和宣言【令和2年(2020年)】 - 広島市公式ホームページ

たまたま在宅だったのもあって、今年は広島・長崎の両方の慰霊式典を(全部ではないが)流し見て、戦後75年、五輪の陰に隠れなくて良かったのかもしれないなと思っていた。広島の式典で、広島市長は「75年間は草木も生えぬ」という言葉に触れたが、今年の原爆報道は、この「75年は草木も生えぬ」(「75年不毛説」とも言われる)を取り上げた記事が目についた。これは、メディアの中の人にとってもそうだったようだ。

 F この夏は、「75年は草木も生えぬ」の一節に引っかけた言説が目に付いた。
 A 原爆投下の直後、米国の科学者がそんな発言をしたのは確かだけど、翌年にもう生えていたんだから。意味ありげに使うのはいかがなものかと、内心いまいましかった。
 F ジェイコブソンという原爆開発に関わった学者のことだね。1945年8月8日のワシントン・ポスト紙に「70年」と数字を持ち出し、「殺人性の放射能が残る」と談話を出したんだ。あまりの反響に、原爆開発の最高権威だったオッペンハイマーが「根拠なし」と全面否定した。翌9月に来日した調査団も放射線被害を重ねて否定したから、原爆の影響のうち放射線被害を過小評価する流れができてしまった。ヒロシマ史家の宇吹暁さんが米国側資料などで突き止め、「広島県史」にも詳しく書いている。
 G 「70年」説も確かに聞いたことがある。
 F 占領下の日本では、原爆自体を告発できなかった。ご存じの通り、プレスコードでね。70年にせよ75年にせよ、曖昧なまま独り歩きしたんだろう。

被爆75年のヒロシマ 紙上座談会 | ヒロシマ平和メディアセンター

さて、この「75年(70年)は草木も生えぬ」という言説の発端となったジェイコブソンという人はどういう人で、初出の発言は70年だったのか75年だったのか、というのが気になって、インターネットを叩いてみたのだが、あまり大した情報が出てこない。
私の環境下で、「75年は草木も生えぬ」で調べると最もトップに表示された紀要論文*1や、広島平和メディアセンターの記事によると、どうやら「ハロルド・ジェイコブソン(Dr. Harold Jacobson)」という人らしい。

所謂「マンハッタン計画」(Manhattan Project) に関わったハロルド・ジェイコブソン (H.Jacobson) 博士の談話として 1945 年 8 月 8 日付けの < ワシントンポスト (The washinton post)> 紙上に掲載されたものである。

「75 年は草木も生えぬ」という言説から : 原子力破局の時代における教育学の課題-広島文化学園大学 機関リポジトリ

県政記者団が尋ねた「七十五年」というのは、原爆開発計画に当たったハロルド・ジェイコブソン博士が、広島への原爆投下直後に述べた見解に始まる。
「実験からは原爆を浴びた地域の放射能は約70年は消えない。広島は75年近く荒廃の地となるだろう」(アトランタ・コンスティテューション8月8日付)。米通信社が配信した。

1945 原爆と中国新聞 <6> 報道と再びの災禍 | ヒロシマ平和メディアセンター

しかし、海外メディアの記事等では、"Dr. Harold Jacobsen" と、ジェイコブン(あるいはヤコブセン?)との表記が多く見つかる。

Hiroshima was a charred wasteland, and people widely believed, based on the words of Dr Harold Jacobsen, a scientist from the Manhattan Project, that nothing would grow, or live, in the city for 70 years.

BBC - Travel - How Hiroshima rose from the ashes

Manhattan Project scientist Dr. Harold Jacobsen predicted Hiroshima's devastated centre would remain dead, "not unlike our conception of the moon", for 70 years.

Atomic Bombing of Hiroshima and Nagasaki | World War II Database


表記もあいまいなこの人物、英語版も含めたWikipediaには特段の記載はないようだ。しかし、彼のものとされる「75年不毛説」は当時の人の心に残り、現在まで伝わる象徴的な言説になっている。被爆から75年経っても残る言説の祖とされる「ハロルド・ジェイコブソン博士」は、実際にはどのような人だったのだろうか。

"Jacobson" か "Jacobsen" か

ひとまずは、初出の記事での表記を探すのが早かろうと思うが、時代が時代なだけに、初出の記事を探すのは、インターネット上の資源だけでは難しい。ワシントン・ポスト(The Washington Post)のウェブサイトでは2005年以降の記事が検索できるが、さすがに1945年の記事は検索できない。なお、アメリカ議会図書館(Library of Congress)の提供するChronicling America*2というサイトでは、一定の歴史的紙面が検索できるが*3ワシントン・ポストは含まれていない。また、先に上げた広島平和メディアセンターの記事によれば、アトランタ・コンスティテューション(Atlanta Constitution)の記事が挙げられているが、こちらもインターネットでの検索は難しそうだ。


そこで、ワシントン・ポストの古い記事が検索できる ProQuest Central を叩いてみたのだが、探し方が悪いのか、ワシントン・ポスト8月8日付の当該記事と思わしきものは見当たらない。先の記事では「米通信社が配信した」とあるので*4著作権等の関係でデータベースに収録されていない可能性もある。また、アトランタ・コンスティテューションについても調べてみたが、当該時期の記事は ProQuest Central には収録されていないようだ。データベースでヒットしないとなると、原紙かマイクロフィルムを確認しないと難しそうで、今回はこれ以上の調査は断念した。


ただし、翌9日に「原爆開発の最高権威だったオッペンハイマーが「根拠なし」と全面否定した」、ニューヨーク・タイムズNew York Times)の記事はインターネットでも確認できる*5。残念ながらインターネット版ではログインしなければ見れないが、同様に ProQuest Central を叩くとこちらはヒットする。同記事内には "Dr. Harold Jacobson" との記載があり、どうやら少なくともこの段階では、"Jacobson" の表記が正しそうだ。

彼は何者なのか

ハロルド・ジェイコブソン博士の肩書きは、このニューヨーク・タイムズの記事では、以下のような記載となっている。

Dr. Jacobson, a technician on the staff of Philip E. Wilcox, Inc., of 39 Park Avenue, which prepared technical manuals for the Navy, (後略)

一方で、同日のワシントン・ポストの記事*6では、

Dr. Harold Jacobson of Columbia University, one of those who participated in the atomic research work, (後略)

とあり、所属の記載は一致しない。この報道時におけるニューヨーク・タイムズが、放射線の影響を否定する立場に立つのだとすれば、「一介の一技師の発言」として発言を矮小化するような向きもあるのかもしれないが、細かい時代状況についてはここでは判断できるほどの知見を持っていないので、直ちに何かが言えるわけではない。
ネットの海を散策すると、Sean Malloyという歴史学者の論文*7に、次のような記述があるのも確認できた。

On August 8, a sensational article in the Hearst press by Harold Jacobson, a scientist who had briefly worked on the bomb project at Oak Ridge and Columbia University, asserted that the residual radiation in Hiroshima “will not be dissipated for approximately seventy years."

(PDF) “A Very Pleasant Way to Die”: Radiation Effects and the Decision to Use the Atomic Bomb against Japan*

ここでオークリッジ(Oak Ridge)という地名が出るが、これはマンハッタン計画で設置され、現在オークリッジ国立研究所となっている施設(テネシー州)を指すものとみられる。"briefly" とあるから、所属機関は短かったのかもしれない。なお、記事からの引用部分は "San Francisco Examiner"(サンフランシスコ・エグザミナー)という新聞(8月8日付)とあり、先の2紙とは異なる。

それっぽそうで違いそうな "Harold G. Jacobson" 氏

今度は、試しにWorldCat Identitiesで検索してみると、"Jacobson, Harold Gordon" という1912年生まれの放射線医学の研究者*8がヒットする。これが探しているハロルド・ジェイコブソン博士なのかはわからないが、放射線医学の研究者であれば、放射線の影響について言及しても、あまり違和感はない。
そこで「Harold G. Jacobson」でもう一度Googleに聞いてみると、北米放射線医学会(The Radiological Society of North America: RSNA)に1919年生まれの人物(同学会会長?)が紹介されている記事*9が確認できる。同記事には 、以下のように書かれている。

When an opportunity was available to return eastward, Dr. Jacobson joined the faculty of the Yale University School of Medicine as an Instructor in 1942, only to depart after several months for four years of Army service (1942–1946). Entering as a First Lieutenant, he received his discharge with the rank of Major. During this period he was Associate Radiologist at the Fort Benning, Georgia, Hospital and Chief of Radiology at the Welch Convalescent Hospital in Daytona Beach, Fla., and at the Army Service Forces Training Center at Camp Gordon Johnson, Fla.

Harold G. Jacobson, M.D. | Radiology

ここから、1942年から1946年まで陸軍に所属していたことがわかる。これは時期だけを見れば、これはマンハッタン計画(1942~)の期間と重なるようにも見えるが、記載されている経歴(勤務先)は先の新聞記事とはかなり異なる。"Philip E. Wilcox, Inc.," や "Oak Ridge" 、 "University of Columbia" といった名前は出てこず、別人の可能性も高そうだ。また、WorldCat IdentitiesとRSNAの記事で生年が異なるのも気になる*10


なお、この他に似たような名前の人物としては、政治学者の Harold Karan Jacobson*11、人口学者?の Paul Harold Jacobson *12がいることがわかったが、この両名についてはさすがに専門性が違うため、別人だろうと考えられる。

急浮上する "Dr. Harold F. Jacobson" 説

そこで、虚心坦懐にもう一度 "Harold Jacobson" で検索を繰り返すことにしてみる。今度はワシントン・ポスト(及び日本語資料)に記載のある "Columbia University" を組み合わせて調べてみると、Erik Lundという研究者のブログ記事が見つかった。このブログ記事には "Dr. Harold F. Jacobson" という記載があり、出典とみられる図書へのリンク*13があるが、内容は確認できなかった。

Philip E. Wilcox, of the War Manpower Commission writes to scold the paper for claiming that Dr. Harold F. Jacobson was not suspended, nor asked to resign, from the Manhattan District on 20 August 1945. It is just a coincidence that he found new, important work with the WMC after claiming that “secondary radiation” would persist at the Nagasaki and Hiroshima bomb sites for generations to come.

Bench Grass: Postblogging Technology, October 1945, II:

また、同じブログのコメント欄では、Newsweek, 1945年8月20日号とされる文書の転記*14があり、この記載によれば、ハロルド・ジェイコブソン博士は、当時33歳のシカゴ大学で博士号を取った人物であることがわかる。

Seven months ago, Dr. Harold Jacobson, 33-year-old physicist (Ph.D. University of Chicago), employed by the government on top-secrt experiments to split the atom, wrote a play. (略) Last week, one day after the historica atomic bombing of Hiroshima, ediots of the three major news serives in New York recievaed a phone call from Philip E. Wilcox, Inc, a contractor for Navy manuals on devices and weapons. In their ortanisation, said the spokesman, was a scientist who had worked for two yeasr on the Manhattan Project, --the atomic bomb—at Oak Ridge, Tenn. Plant and at the University of Columbia. His name was Dr. Jacobson, and he had a story to tell. . .

http://benchgrass.blogspot.com/2015/12/postblogging-technology-october-1945-ii.html?showComment=1478987012844#c8000900043902665205

同記事中にはジェイコブソン博士は "Philip E. Wilcox, Inc.," から連絡を取ってきた "Oak Ridge" "University of Columbia" での勤務経験がある人物であることが記載されている。また、同ブログで著者とコメントをやり取りしているカナダのコンコルディア大学(Concordia University)のDr. Peter C. van Wyck氏が記載するところでは、”he taught at Hofstra for a couple of years before his death in 64" とあり、ニューヨーク州のホフストラ大学での教鞭歴があるという。
今回の調査では、"Dr. Harold F. Jacobson" のリンク先の図書*15や、Newsweekの記事原文はチェックできなかったので*16、ブログ記事の裏付けは取れないが、博士の本名が "Dr. Harold F. Jacobson" なのだとすると、先の "Harold G. Jacobson" は、完全に別人なのかもしれない。

(補論)「70年」か「75年」か

ところで、先のニューヨーク・タイムズの見出しでは、"70-year effect" とあるように、問題となる期間は「70年」とある。実際には「草木も生えぬ」とされたのは、75年ではなく70年だったのではないか、という疑問もわく。先の広島平和メディアセンターの記事等を見る限りでは「70年説」と「75年説」の両方が流通していたようだが、今回は初出の記事まで至っていないので、最初の時点では何年だったのか、どの時点で両説が並立する状況になったのかといったことを知るのは難しそうだ。


ただ、日本での言説の受容という観点で言えば、実際にはラジオ等で二次的に拡散された情報が広がったことを考えると、「曖昧なまま独り歩きしたんだろう」というのが実態だろう*17。日本での初報とされるのは毎日新聞の記事で、データベース(毎索)では東京本社版しか調べられないが、「70年」との記載が確認できる。

これについては米國側においても「廣島、長崎は今後七十年間は草木は勿論一切の生物は棲息不可能である」と怖るべき事実を放送している*18

一方で朝日新聞の記事では、「75年」の記載をしている。

當時の米國放送は「廣島は七十五年間、人畜の生存を許さぬ土地となった、また被害調査のため學者派遣するがごとき行爲は自殺に等しい」と繰返し宣傳*19

ひとまず、日本での初報段階では既に「70年」と「75年」の両説が唱えられていたということが推察される。


なお、先のニューヨーク・タイムズ及びワシントン・ポストの8月9日付の記事では、ハロルド・ジェイコブソン博士自身が前日の自身の発言を事実上撤回する声明を出している。これについては、8日の自身の談話発表の後、FBIによる取り調べが行われたとされ、政府による圧力によって撤回を促されたとの見方がある。一方で、先の日本の新聞記事のように(少なくとも日本の降伏前/米国による調査前の段階では)日本向けには放射線被害の継続性を宣伝する動きもあったとも考えられる。なお、先のSean Malloyの論文には、ハロルド・ジェイコブソン博士が簡単に反論できる談話を発表したがために、残留放射線の問題のみに注目が集まることになり、爆発直後の放射線による長期の被害についての問題に対する注意を逸らすことに繋がったとの評価もあるようだ*20。こうした様々な背景や、実際には「草木も生えぬ」などということはなかったことを踏まえれば、当初の発言者の意図とは別に、関係者が政治的に利用した言説として、その利用のされ方に注目すべきものと思われる。

おわりに

戦後75年の夏休みの自由研究的に、謎のハロルド・ジェイコブソン博士の行方を追ってみた。一部の新聞データベースを使った以外は、インターネットに頼って、お気楽で行き当たりばったりに調査したので、かなり限界はあるものの、ハロルド・ジェイコブソン博士は、少なくとも「インターネットで簡単に検索して出てくるほどの有名人ではないらしい」ということがわかった。
調査した中で最も詳しい資料である、Erik Lund氏のブログ記事(コメント欄でのやり取りを含む)を信用するならば、ハロルド・ジェイコブソン博士(Dr. Harold F. Jacobson?)は、発言時点で33歳の物理学者で、オークリッジやコロンビア大学で働いた後、Philip E. Wilcox, Inc.,に職を得たらしく、後にはホフストラ大学で数年間教職に就き、64歳で亡くなった人であるらしい。とはいえ、こうした事実の裏付けを取るには、色々と紙資料を含めて調査してみる必要がありそうだ。
彼が談話前後にどのような人生を送っていたのかについての興味は尽きないが、今回はここまでの調査としたい。

*1:小笠原道雄「「75 年は草木も生えぬ」という言説から : 原子力破局の時代における教育学の課題」『子ども学論集』2015.3, pp.15-26.

*2:http://chroniclingamerica.loc.gov/newspapers/

*3:海外の新聞を調べるには | 調べ方案内 | 国立国会図書館

*4:井上泰浩『アメリカの原爆神話と情報操作』朝日新聞出版(朝日選書), 2018, p.47の記述によると、当該通信社は「通信社ハースト(The Hearst News Service)」だという。一方で、「米INS通信」とするサイト(伝えるヒロシマ 被爆70年 <19> 原爆報道 核時代 終える日まで | ヒロシマ平和メディアセンター)もある。なお、INS通信(International News Service: 国際通信社(現 United Press International: UPI通信))は、ウィリアム・ランドルフ・ハースト(William Randolph Hearst)が設立した通信社である。

*5:70-YEAR EFFECT OF BOMBS DENIED; Atomic Research Head Scouts Long Radioactivity--Expert Here Clarifies Statement Dr. Jacobson Tells Views ATOM HELD PEACE AGENT Scientist Links Discovery to Necessity for Averting War - The New York Times

*6:"Atom Bomb's Radioactivity Fades Rapidly" The Washington Post, 1945.8.9, p.1.

*7:Sean Malloy, "“A Very Pleasant Way to Die”: Radiation Effects and the Decision to Use the Atomic Bomb against Japan," Diplomatic History, 2012.6, pp.515-545.

*8:Jacobson, Harold G. 1912- (Harold Gordon) - WorldCat Identities

*9:Harold G. Jacobson, M.D. | Radiology

*10:1919年生まれだとすると18歳で大学卒業ということになりやや若すぎる気もする。ひとまず1912年説をひとまず採用するならば、1945年時点で30代前半(32-33歳)の研究者ということになり、当時オッペンハイマー(Oppenheimer, Julius Robert, 1904年生まれ)が当時41歳であることを踏まえると、若い研究者ということになるのかもしれない。

*11:Jacobson, Harold Karan - Social Networks and Archival Context

*12:"American Marriage and Divorce" という本を1959年に出版している

*13:John Chappell, "Before The Bomb: How America Approached the End of the Pacific War," University Press of Kentucky, 2014.

*14:コメント欄のやり取りから推測すると、OCR等で読み取った文章の転記の可能性があり、一部スペルミスとみられる部分があるが、以下ではブログ記載の文章のまま抜粋する

*15:国立国会図書館の所蔵を探すと、1997年版の同書(GB531-A122)の所蔵があるようだ。

*16:Newsweekの古い記事はデータベースでは追えなさそうなので、現物を探すしかなさそうである。

*17:この辺り、今回は参照していない宇吹暁氏の研究成果(『広島県史』等)を確認すると、もう少し詳しいことがわかるのかもしれない。

*18:「傷者も漸次悶死 今後七十年間は生物の棲息不能」『毎日新聞』(東京本社版)1945.8.23.

*19:廣島に取り憑いた”惡靈” 二週間後には死亡者倍增」『朝日新聞』(東京本社版)1945.8.25.

*20:Sean Malloy, 前掲注7, p.542.

似た名前の駅を間違えた場合の駅間距離リスト

はしがき

ちょっと前にこんな記事を見つけた。
dailyportalz.jp
この記事としては距離の近い「間違えた感のある」駅間の魅力が大事なのはわかるのだけれども、距離が離れた全然関係ない駅間でやってみても散歩としては面白いのではないかと思い、短いもの(但し2km以上)から長いものまで集めてみた。
駅間は直線距離を適当に丸めており、あくまでも目安というところ。
普通間違えないだろというものも多いのだけど、まぁネタなので。

リスト

始点駅 終点駅 直線距離(目安*1
浅草 浅草橋 2
海浜幕張 幕張 2
中目黒 目黒 2
読売ランド前 京王よみうりランド 2
下丸子 新丸子 2.3
石神井 石神井公園 2.3
葛西 葛西臨海公園 2.4
浦安 新浦安 2.5
北野 八王子みなみ野 2.6
市場前 築地市場 2.8
高井戸 下高井戸 3
新橋 新日本橋 3
三鷹 三鷹 3
木場 新木場 3
新小岩 京成小岩 3.7
沼袋 池袋 4
桜新町 桜上水 4
町田 南町田クランベリーパーク 4
向原 小竹向原 4.4
多摩川 二子玉川 4.5
新横浜 横浜 4.6
上北沢 下北沢・東北沢 5
新宿三丁目 本郷三丁目 5
武蔵小山 武蔵小杉 6
椎名町 信濃町 6
久米川 東久留米 6
赤羽橋 浅草橋 6
富士見台 富士見ヶ丘 6
東京 東京テレポート 6
千駄ヶ谷 千駄木 7
市川真間 市川塩浜 7.2
昭和島 昭和 7.5
百合ヶ丘 つつじヶ丘 7.6
亀有 亀戸 8
銀座 戸越銀座 8
旗の台 幡ヶ谷 8
田原町 田町 8
甲州街道 青梅街道 8
新井宿 西新井 8.6
東大前 駒場東大前 9
相模原 小田急相模原 9
宿河原 向河原 9.3
目黒 目白 10
田端 田町 10
池上 池ノ上 10
多摩川 和泉多摩川 10
多摩センター 多磨 10
はるひ野 あざみ野 10
大崎広小路 上野広小路 11
つつじヶ丘 ひばりヶ丘 11
大倉山 大岡山 11
明大前 東大前 11
新馬 高田馬場 11
四ツ木 四ツ谷 11
船堀 船橋 11
大崎 大塚 12
梅屋敷 梅が丘 12
長沼 稲城長沼 12
中河原 宿河原 12
千川 仙川 13
多摩センター たまプラーザ 13
谷保 保谷 13
矢部 矢川 13
多摩川 京王多摩川 13
調布 田園調布 13
中野 中野島 13
桜新町 桜木町 14
千石 洗足 14
赤羽橋 赤羽 14
武蔵小山 大山 14
沼袋 沼部 15
玉川学園前 成城学園前 15
高円寺 国分寺 15
玉川上水 京王多摩川 15
玉川学園前 二子玉川 16
馬込 駒込 16
大塚 雪が谷大塚 16
五反田 五反野 17
鷺ノ宮 鷺沼 17
稲荷町 穴守稲荷 18
八丁畷 八丁堀 19
矢口渡 矢野口 19
玉川上水 玉川学園前 19
鶴見 鶴川 19
武蔵小金井 武蔵小杉 20
武蔵小金井 武蔵小山 20
北千束 北千住 20
田端 田無 20
住吉 元住吉 20
学芸大 国分寺*2 20
桜街道 桜上水 21
田無 田町 21
北野 喜多見 21
平和台 平和島 21
青梅街道 青梅 21
中河原 向河原 21
平井 平間 22
桜ヶ丘 聖蹟桜ヶ丘 22
市ヶ谷 市が尾 23
玉川上水 二子玉川 23
蓮沼 本蓮沼 23
上大岡 大岡山 24
桜街道 桜新町 24
菊名 菊川 25
程久保 大久保 26
都立大学 南大沢*3 27
清瀬 成瀬 27
不動前 高幡不動 27
大師前 川崎大師 28
白山 黒川 28
山田 東山田 28
片倉 片倉町 29
大塚 大塚・帝京大学 30
立川 立会川 31
矢向 矢切 31
大久保 京成大久保 32
目白 めじろ台 37
桜街道 桜木町 38
王子 八王子 38
霞ヶ関川越市 霞ヶ関千代田区 40
入谷(座間市 入谷(台東区 45
堀ノ内 京王堀之内 48
青梅 青海 50
稲毛 稲城 53

*1:小数点以下は付けたり付けなかったり丸めたりしている

*2:東京学芸大学最寄り

*3:東京都立大学最寄り

最近聞いている音楽2020青嵐

動向

日々流れるいろんなことに踊らされている。奮い立ったり、落ち込んだり、わからんわーとなったりしながら聞いている曲が結構ダンスソングで、踊らされている感。

邦楽

www.youtube.com
「この世は仕組まれていた!誰かに!/さまよう人々を怪しい電波で集めた/全く気がつかないような手口で永遠に踊らされていた!」という歌詞のおかしみが一番に来るけれど、実際に「踊らされている」アバター、あるいは自身の演出によって「踊っている/踊らされている」tofubeats氏ご本人のMV、自身の過去のMV(元はフリー素材らしい)から再登場する踊る人々なんかを見ながら聞くと、何重にも面白い。そして、日々のニュースに振り回される私たち自身をめぐる昨今の状況を鑑みるに、非常にタイムリーな曲だなと思った。4月は心が沈んだり視野が狭まっているなと感じるときは、何となくこれを聞いて脳内で変な動きのダンスをすることで、ちょっと落ち着きを取り戻せた感じがある。

  • ポップしなないで - 救われ升

www.youtube.com
イントロのすぐ後から繰り返すキーボードの和音のコードが好きでついつい聞いてしまう。「言ってることは一見支離滅裂ですが、聴いた人それぞれの解釈で、この曲に救われることがあれば嬉しいです」*1とあるけど、私にとっては多分このコード進行がそれの一つなんだろうな。

  • さよならポニーテール - 放課後てれぽ~と

www.youtube.com
360度撮影をしている実写MVで、何度も見返す楽しさがあるのだけど、アーティスト本人とかではないらしい。最近は映像に顔を出さないアーティストが目立つようになった気がするのだけれど、もうボカロが登場して10年以上になるし、まぁ気のせいかもしれない。サビのあたりのハモリ?がちょっと引っかかるけど、しかしちょっと楽しい。

www.youtube.com
思い出野郎Aチームによる音楽業界への支援キャンペーン「ソウルピクニック・ファンディング」のための曲(のDemo版)。「俺たちは耐えるためにこの街にいるんじゃない/絶えず鳴り続ける音楽で踊るためにここにいるんだ」「仕組まれた分断よりも早く届けるラブソング」といった歌詞がアツいなと思う。

  • Blanc Bunny Bandit - 新世界ライオット

コナミの「バンめし♪」プロジェクトの曲らしいが、やぎぬまかな(元・カラスは真っ白)さんの楽曲提供シリーズだと聞いて興味を持って聴いてみた。最新作『共鳴性白染自由主義』の中ではこれが良いかなと思った。やぎぬまかなさんの疾走感のある曲は結構好き。

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4月30日のTOKYO FM「Skyrocket Company」をなんとなく聞いていて、当日のゲストの紹介とともに曲が流れてきて、とても、夕日が沈んでいきそうな時間のラジオに映える曲だなと思った。はっとり(Vo, G)のコメントにある「絶望の淵だとしても、 救いの歌をたまたま僕の方が一曲多く知っていたことで殺してやれた孤独がある。」という言葉が良い。

今年でデビュー35周年らしい。「シーズン2」「チャプター2」の声の押し出し方に渡辺美里のパワーを感じる。フェスに出るはずだった「さっぱりわかってない怒髪天とわかり始めたMy Revolutions(奥野真哉フジイケンジ渡辺美里)」というグループ名もなんか面白い。

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連休中に、なぜかEL DORADOの聞き比べをしてしまった日があった。今回聞き比べられた範囲ではこの時のアレンジである「悪魔 NATIVITY」(D.C.11(2009))のものが好みなのだけれど、「地獄より愛をこめて」(B.D.13(1986))の時のキーの高さは凄いなと思う。あわせて、聖飢魔Ⅱの過去のライブのトーク部分を聞いていたのだけれど、黒ミサにおける、(当該バンドにおけるお約束の)コールアンドレスポンスで、「諸君、この期に及んでも我々のミサに馴染んでいないものがいる、そんなやつをどうしたらいい」「殺せ!」という部分が収録されているのを聞きながら、田野大輔『ファシズムの教室』(大月書店, 2020)のことを想起したりしていた。まだ読めてないけど。こちらも今年35周年。

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春っぽい明るい曲だなと思ったら、去年の曲だった。よく知らないグループだったのだけど、結構活動歴があるらしい。「佐久間宣行のオールナイトニッポン0」(ニッポン放送)のジングルとして使われていたらしいのだけど、それではなく別のラジオで聞いたのが最初だったかしら。ガリレオならフランスじゃなくてイタリアで収録すべきだったのではと思わなくもない。

  • City Your City & Frasco - Micro Summer

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不思議な歌詞のテクノポップ。途中でサックスも入っちゃってまぁなんかそれっぽい。

洋楽

  • Donnie Trumpet & the Social Experiment - Sunday Candy

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Chance the Rapperと彼のバンドによる「おばあちゃんの思い出」。キーボードの丸い音がやさしい。

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2018年のアルバムからの曲が、唐突に lyric video になって出てきた。日々深刻化するかの国の状況や、あるいは世界の状況を踏まえて聞くと、喪失と後悔の詩から見えてくる風景も変わってくるなと思う。でも、チャーチズの曲は、こういう歌詞でもどこかに希望が残るような気がしている。

  • Con Funk Shun - Too Tight

邦題「タイトなあの娘」。数日前の「ラジオマンジャック」(NHK-FM)で、(多分)赤坂泰彦さんが、ひたすら「きついの~」と言った後、これが流れてきて笑ってしまった。普段あんまり聞いてる番組でもなかったので、時東ぁみさんの声を久々に聞いた気がする。

  • Lauv - I Like Me Better

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Lauvの歌とストリングスとのバランス良いよなと思うなど。

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イントロがいわゆる「ヒゲダンス」のネタ元になった曲。山下達郎のサンデーソングブックで流れていて、なんとなく何度か聞いていた。個人的には、志村けんさんに特段何の思い出もなく、彼らの国民的コント番組もほぼほぼ見てきておらず、SNSを流れていく「自分の人生にいかに影響を与えたか」的なコメントに、なんだか距離を感じてしまった。ただ一つ、小学校6年生の時に、とある先生が「プライドを持つ」というテーマで話しているときに「テレビ局を見学に行ったときに志村けんさんとすれ違ったのだけど、彼はバカ殿のようではなく、ちゃんとした服を着て、胸を張って堂々と歩いていました」というエピソードを披露されていたのを何故かよく覚えている。

その他

  • BBC News Intro

これまた連休中に、延々と世界の報道機関のイントロを聞き比べた日があって、やっぱりBBCが好きだなと思った。映像としても、BBCのオープニングは報道機関としての制作過程を追ったイメージになっているのが良いと思う。そういえば、アメリカのNBCのテーマソングはジョン・ウィリアムス作らしいという話を見て聞いてみたら、非常にそれっぽい感じであった。

日常と非日常の間で

人事異動で、職場の机の席替えがあり、一つ隣の席に移った。担当業務もちょっとだけ変わったのだけれども、目下のところそれどころじゃない状況なので、私自身の日常としては、逆にあまり変化の無いひと月を過ごしている、いや、過ごせている、あるいは、過ごすようにしている。


4月になって、もはや外出許可証の意味を持っているマスクをつけるようになったけれど、マスクの前にまず社会的距離だと思っていて、どちらかと言うと他人と2mの距離をどうやったら取れるかについて考えていた*1。そういう意識もあって、平日はおおよそ毎日、地下鉄区間を徒歩で帰ることにした。地下鉄区間といってもせいぜい5kmなので、1時間程度ののんびりしたものだけれど、人がどれぐらい減ったかとか、商店がどれくらい閉まっているかなんかを遠目に見つつ、夜の散歩を続けた。都内は歩道も広い道が多く、基本的には夜の人手の中では、駅周辺の一部や大規模スーパーマーケットの横などを除けば、対人距離を取りやすい。運動量確保やストレス対策という意味もあって、逆に土日は家から一歩も出ないようにしたけれど、なんとかストレスと付き合えたような気がする。職場全体の体制変更もあり、月末からはテレワーク的なものも試行中で、5月からは在宅勤務も増えるのかなという感じで、運動量確保やストレス対策は別にしていかないといけないなと思うところ。ある意味で、「相変わらず」をいかなる形で保持していくかを考えている。


何かと「戦争」に例えられる昨今だけれど、スターウォーズのエピソード1で、ヨーダジェダイのパダワンの試験を受けるアナキンに話した言葉を心に留めるようにしている。

Yoda: Mmm. Afraid to lose her, I think, mmm?
Anakin: What has that got to do with anything?
Yoda: Everything. Fear is the path to the dark side. Fear leads to anger. Anger leads to hate. Hate leads to suffering. I sense much fear in you.

スター・ウォーズの鉄人!/スクリプト

ただし、個人的な解釈としては、この時点でのヨーダのフォースに対する考え方は、背景にジェダイ教団内での路線対立なんかもあり、最終的には変化していくところがあるので、注意が必要ではあるが*2、ひとまず、自分の中のダークサイドとどのように付き合うかが大事かなと思うところである。なかなかリアルタイムに自覚できないこともあるのだけれど、自分が何を恐れていて、あるいは何に怒りを感じているのかを反省的に自覚することは大事だろう*3


国民生活基礎調査が中止になったり、秋の国勢調査もこの分だとどうなるんだろうかというところで、いろんな官庁統計が見えにくくなっていく様は、我々の目がだんだん見えなくなっていくようでもある。医療・福祉関係の従事者が感染リスクに向き合っているのはぎりぎり見えているけれど(十分に見えているとは言い難いが)、報道関係者が感染リスクに向き合いつつどうやって取材活動を続けていけるのかも、直下の状況への対応だけでなく、中長期的な課題になっているんだろう。マクロにもミクロにも、「見えないこと」に対する恐れがあるのだけれど、一方で「見える化できない理由」もいろいろあるらしく、そしてその「理由」すらよく見えなくて、そこには非常時であるところの「戦争」っぽいものを感じる。一方で、日々新たに出てくる様々な「データ」にも振り回される。官庁統計や社会調査データは元々多かれ少なかれそうなのだけれど、それぞれに癖のあるものが多く、そのくせ、数字が独り歩きし、限定された状況報告がすぐに一般化され、時に信仰対象となっていたりもしている。個々の事象だけ取り出せば、「いつもの光景」のようにも見えるのだけれど、社会にストレスが溜まっている状況で、時に(自分の認識も含めて)極端に振れやすいところでもあり、短期的には正反対なデータが飛び交う中でどうバランスを取るかに悩んではいる。必要なバランスは、今あるデータの間にもあるし、出てくるデータと出てこないデータの間にもあるのだろう。量的なデータについて言えば、不完全なデータから試行錯誤しながら、現状を把握するというのは、少なくとも社会科学界隈の(おそらく自然科学も含め)平時からの問題でもある。本当に今までは「見えていたのか」というところまで言い出すと、また別の問題になるかな。


ここ数年は気を付けて過ごしているので元気だけれど、5月の連休は割と体調を崩すこともあって、家にこもっているような日々は、そこまで非日常でもない。とはいえ、身近なところにも閉店のお知らせを散見するようになってきて、いよいよ来るなと思うところもある。連休明けから、いよいよ本当の非日常、あるいは新しい日常(「新しい生活様式」?)を、本格的に感じることになるのだろうか、などと思っている。

*1:そういえば、Social Distancing (Physical distancing) と Social Distance は別文脈の言葉で(感染症対策の場合、前者が本来は適切)、イミダスでは「社会的隔離」と訳していたらしい(ソーシャルディスタンシング(社会的隔離) | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス

*2:この時点でのヨーダは瞑想による未来視に重きを置きすぎていて、後の「失敗」に繋がり、その後、ヨーダがダゴバで自身の「失敗」と向き合った日々が、エピソード5での若いルークへの言葉や、エピソード8での老ルークへの言葉に繋がるところだと理解・解釈しているのだけれど、この辺りはアニメシリーズも含めて現在進行形でいろんな設定ができたりしており、現在どういう解釈が一般的なのかとかは不勉強でよく知らない。ひとまずエピソード1の時点でのヨーダの言葉は、その時代性を含めて、ある程度注意して読まなければならないだろう。

*3:念のため付言すれば、「恐れ」や「怒り」を感じてはならないということが言いたいのではなく、冷静に「恐れ」や「怒り」と向き合うことが必要なんじゃないかな。

最近聞いている音楽2020春一番

動向

気が付いたら半年ぐらいまとめてなかった。とはいえ秋口は何も聞いてなかったので、実質的には11月ごろからの数か月分。
「80's」とかシティポップが流行る昨今において、非常にミーハーな選曲になってしまったなぁと思うのだけれども、さてどうでしょう。

邦楽

  • KAN - ポップミュージック

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「踊る57ちゃい」のMVに心を持ってかれがちだけど、「マニアのための分解試聴」を聞くと曲も結構面白いことがわかる。後半の転調からの高いキーは「歌う57ちゃい」としても結構すごいなと思ったり。エスプリとユーモアの利いた曲で、間口が広く奥行きもそこそこという感じ。TRICERATOPS林幸治さんが「ポップですか? それはタピオカですね。間違いないです。」と答えたという話*1は、最初なんだそれと思ったのだけれど、何回か聞いてみるとなるほどとも思う。

  • Juice=Juice - ポップミュージック

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同じ系列事務所(アップフロント)内でのカバー。ヴィレッジ・ピープルのYMCAとか、ヴァン・マッコイのThe Hustleとか、1970年代の洋楽エッセンスが入って、PVは80年代初頭感。聖子ちゃんカットの破壊力ってこんな感じだったんでしょうか。

  • Lucky Kilimanjaro - HOUSE

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コロナでみんなおこもりしているけれど、もういっそ開き直ってしまえばいいんじゃないだろうか。そんな時にこの曲の「BPM125/部屋で踊るハウスミュージック/何もない休日だからこそ/ここから出ない」という歌詞の強い意志を考える。

  • Lucky Kilimanjaro - 350ml galaxy

同グループの新譜収録。歌詞的にはお酒だけど、曲は炭酸飲料を飲んで浮遊しているようなグルーブ感。「のどごしのある毎日にしたい」っていうのはいいな。

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ベースの草刈さんのソロパートが素晴らしいという話を聞いたので視聴してみたら、嶋田久作インパクトにやられてしまった。

GFJBの新譜から。サウンド・オブ・ミュージックの「So Long, Farewell」を思わせるおやすみソング。シスターズのハーモニーが心地よい。

こちらも、シスターズが「動き出せ半歩でも」と繰り返してくれる声が心地よい。中間部のジェントル久保田のパートの「NO NO」は、ちょっぴりスーダラ節のイントロっぽく聴こえた。このビッグジャズバンドはいつもとにかく楽しそうなのだけど、今回のアルバムはいろんな幅があるなと思った。

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ジェントル久保田つながりで、こちらは朝ドラファンク。篠塚登紀子さん演じる冠ワシの地味な存在感と、変身後のおかんむりダンスのちょっと笑える感がとても良い。

  • BRADIO - O・TE・A・GE・DA!

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お手上げだ\(^o^)/

  • フレンズ - Love,ya!

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このボードゲーム面白そうだなと思ったり。

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ドラマ「グランメゾン東京」主題歌として十分な歌詞だった。何というか、職人感を感じる。

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前情報なしで「屍人荘の殺人」を見てしまって、もうなんか、あんぐりと口を開けていたのだけれど、この曲は良いのではないかと思った。過去PVの再利用感は、去年やっていた渋谷公会堂こけら落とし公演「Reframe」(12月30日(月)にNHKでやってたのを見た)なんかを見ても、「Perfumeの解体・再構築感」というテーマがあって面白いなと思った。

BEYOOOOONDSは「ご時世に合いすぎてること」*2が心配されるぐらい今どきの曲を歌っているのだけれど、2019年はSASUKEの「平成終わるってよ」で始まっていって、この曲を聴きながら暮れていったなぁという感じだった。

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「シンプルに、添加物無しのご飯、みたいなのものをイメージして作りました。」*3という曲の落ち着いた声、いいなぁと思っていて、King Gnuの井口さんの声みたいなのが注目される昨今において、私はどちらかといえばこっちの方が好みかもしれない。

洋楽

2013年のElectronic Beats Festival in Grazのlive版を見ていて、打ち込みの音のボタンを全部オンにして、「I am a composer of electronic piece. Crup for me!」とやる下りがとても印象的だった。

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パッヘルベルのカノンのメロディーってずるいよね。

サウンドトラック

  • John Williams - Finale (From "Star Wars: The Rise of Skywalker")

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スターウォーズについては別記事(スター・ウォーズ断想 - Re:clam)を書いた。シークエルの4年間が終わって、作品自体にはいろんなコメントがあるけれど、9部作全てをジョン・ウィリアムスが手掛けてくれたことはシリーズの遺産だなと思う。
「マンダロリアン」はネットの感想だけぱらぱら見ただけなのだけれど、ベビーヨーダ(The Child)は反則級の何かだ。

最近見た石の風景

前回の続き。2019年下半期に撮ったものから、石の風景を中心に何枚か。
年の後半はあんまりカメラ持ち歩かなかったなぁ。

大阪

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国立民族学博物館に行った際に横を通った万博記念公園のシンボル。こういう像を見ると、何を見ているのかが気になる。

長野

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安曇野にて。今年が子年だったのであれだけど、牧場直売店の前にいた牛。
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バスに乗って弾丸だけど、乗鞍岳をちょこっと歩いた。やや曇天気味だったけれど、上がっていった頃にちょこっと雲が切れた。山頂付近は渋滞だった。

栃木

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夏の暑い盛りに涼を求めて大谷資料館に行った。数々の映像作品のロケ地等になっている、「映え」スポットなので、何撮ってもそれっぽくなっちゃう気もする。f:id:walker_hotate:20190825125744j:plain
時代によって採石方法が違うのが、壁に刻まれた痕跡によってわかるんだとか。

和歌山

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祖母の法要、とても良い天気だった。

愛知

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石じゃないけど。ちょろちょろ出てる水を浴びようとする東山動植物園のインドサイ。そこそこ寄ってきてくれた。